「学校は行けない。でも放課後は遊べる」――その状態を、周りはどう見るのか。
わたしが担任と話したこと、学童で言われて怖くなったことを書きます。
学校は行けなくても、放課後は遊べる日があった
小学校時代の話で、印象に残っている話です。
息子は学校には行けなかったことが多かったですが、放課後にお友達と遊ぶことはありました。
わたしもそれは賛成でした。
学校に行けなくて息子の中に積もっていく色んな感情や思いの発散になるだろう。
わたしはそう考えていました。
担任からの連絡。「外で遊ばせないように」
ある日、担任の先生から連絡がありました。
息子が学校に行かないのに放課後遊んでいることに、子どもから不満が出ているので、外で遊ばせないようにしてもらえないか。
そういう話でした。
わたしはこう答えました。
学校には行けないけど、放課後にお友達と遊ぶことがきっかけになって、学校に行くようになるかもしれないと思っています。
話は平行線で終わりました。
でも、「そういう声もある」というのは理解しました。
実際は、友達は変わらず一緒に遊んでくれていた
それでも、息子のお友達は変わらず、息子も一緒に広場でサッカーをしたり、遊んだりしていました。
家に遊びに来ることもありました。
担任の先生が言うような「ずるいー!」と息子に言うお友達は、いませんでした。
学童なら行けるかも?と思って試した
もうひとつ。
学校には学童保育がありました。
朝から教室には入れないけど、学童なら大丈夫、というパターンもある。
そう思って、息子に言って試してみました。
仲のよかったお友達もいてたので、少しの期間行っていました。
学童のリーダーの言葉が、怖かった
その学童保育のリーダーの方と、息子の不登校の話をしたときのことです。
その方のお子さんも不登校になったそうです。
その時、その方は自分の子どもさんを無理に行かせたそうで、
「ぼくなら、ひきずってでも学校へ連れて行きます」
と言いました。
わたしはそれを聞いて、恐怖でした。
子どもを預かる立場の方なのに、理解が足りていないと思いました。
無理やり行かせて「行けた」って、ほんとに何なんだろう
無理やり学校へ行かせて、それで行くようになったとしても、
その子どもが心から学校へ行きたいと思って行ってないのかもしれません。
ある児童精神科の医師の本を読んだときに、
学校へ行けなかった子よりも、無理して学校へ行かされた子のほうが、将来的によくない影響が出る、と書いてありました。
うまく説明はできませんが、
なんでも無理やりというのは、結果、その子どもが「あきらめた」という心理ではないでしょうか?
大人という、自分より立場の強い人が「そうしろ」と言ったら、
「したくない」という子どもの小さな声はかき消され、なかったことにされる。
その結果、「あきらめる」という選択になるのではないでしょうか?
(これは、わたしの感想です。)
『準備してきた』 『希望もあった』 『途中まで行った』 『でも戻ってきた』 『どちらも本当だった日』
『放課後の解放感』 『学校とは違う場所の呼吸』 『発散している感じ』 『笑い声が消えたあと』 『今日はこれでよかった、と思える夕方』


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