不登校と子育て

教頭先生がいなくなった6年生。別室登校と、支えてくれた人たち

教頭先生の転勤と担任交代で、6年生はまた行けない日が増えた。別室登校の部屋、週1〜2回の遊具のある教室、事務員の先生の励まし。卒業式当日、体育館に入れなかった息子に寄り添い、校長室で卒業式をしてもらった話まで。
パニック・メンタル

親なのに起きられなかった日。友達の「寝てていいよ」に救われた

友達が来てくれた日に、私は起きられなかった。友達が子どもを連れ出してくれて救われた日。罪悪感と安堵が同居した、忘れられない優しさ。
不登校と子育て

教育相談で“原因を別角度から見た”話。天国へ行った祖父と、「不安の高い子」

教育相談で、不登校の原因を別角度から見ていった話。祖父の死の影響を考えて児童精神科医の診察を受け、「不安の高い子」と言われたこと。発達検査や起立性低血圧の検査も経て、私なりに振り返った記録です
パニック・メンタル

女医さんが開業した。ハワイの診察室と、安心感の爆上がり

先生が開業しても、私は通うと決めた。ハワイ風の診察室、フラダンス、先生の体験談。「正体」と「波」を知って安心感が変わっていった話。
不登校と子育て

スローステップ。「一度できた」から次へ行かない、と決めた日

教育相談での合言葉は「スローステップ」だった。一度学校へ行けた=次も行ける、ではない。子どもが使ったエネルギーと疲れ、休むこと、そして「待つ」ことの難しさ。焦る親の気持ちごと振り返った記録。
不登校と子育て

遊びから始まった教育相談。少しずつ「話せる」ようになるまで

市の教育相談での面談は、はじめは遊び中心でエネルギーを発散し、少しずつ「遊び+話す」へ。母だけの面談、暴力の相談、部屋を分けた配慮、「100%息子の味方」の実感まで、うちの場合の記録。
パニック・メンタル

治ったわけじゃない。でも、文字があると落ち着けた(心療内科と漢方のあと)

落ち着いてきても波はある。そんな時期に、私が感覚的に救われていたのは“言葉と文字”。寝る前の定番と、プロレス観戦での失敗まで
不登校と子育て

私の気質と、息子の気質は違った

学校は「行かなくてもいい」と思えるタイプの私が、息子の不登校でいちばん苦しんだのは“親子の気質の違い”でした。行かないのではなく行けなくて苦しむ息子。小5頃の変化も重なって見えた、当時の記録。
パニック・メンタル

ママ友の「はよ病院行き!」で救われた日(漢方との出会い)

「それはアカン!はよ病院行き!」の一言が、心療内科につながった。女医さんと漢方、二週間ごとの診察、「低くても安定」を目指した頃。
不登校と子育て

教育相談は、まず「遊び」だった。息子が素直に来てくれた日

教頭先生の紹介で市の教育相談へ。「遊べるらしいから行かない?」と誘うと息子は意外と素直に来てくれた。おもちゃの部屋で作品づくり、次はトランポリンやブランコの部屋で全力で遊ぶ時間へ。発散して“余計なものが落ちる”感覚があった日の記録。
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