パニック・メンタル

治ったわけじゃない。でも、文字があると落ち着けた(心療内科と漢方のあと)

落ち着いてきても波はある。そんな時期に、私が感覚的に救われていたのは“言葉と文字”。寝る前の定番と、プロレス観戦での失敗まで
不登校と子育て

私の気質と、息子の気質は違った

学校は「行かなくてもいい」と思えるタイプの私が、息子の不登校でいちばん苦しんだのは“親子の気質の違い”でした。行かないのではなく行けなくて苦しむ息子。小5頃の変化も重なって見えた、当時の記録。
パニック・メンタル

ママ友の「はよ病院行き!」で救われた日(漢方との出会い)

「それはアカン!はよ病院行き!」の一言が、心療内科につながった。女医さんと漢方、二週間ごとの診察、「低くても安定」を目指した頃。
不登校と子育て

教育相談は、まず「遊び」だった。息子が素直に来てくれた日

教頭先生の紹介で市の教育相談へ。「遊べるらしいから行かない?」と誘うと息子は意外と素直に来てくれた。おもちゃの部屋で作品づくり、次はトランポリンやブランコの部屋で全力で遊ぶ時間へ。発散して“余計なものが落ちる”感覚があった日の記録。
パニック・メンタル

大きめの車(オデッセイ)に乗れるようになっていた話(和歌山のトンネルと「噛む」作戦)

和歌山へ向かう長いトンネルで発作が出る。でも怖いままでも通れる日が増えた。私が当時やっていた「噛む」工夫と、小さなリハビリの話。
不登校と子育て

教育相談で出会った〇さん。「100%息子の味方です」と言われた日

はじめて市の教育相談へ行き、信頼できる〇さんと出会った日。鍵のある個室で息子のことだけでなく、母親の不安も傾聴され、息子に来てもらう作戦会議をした。「私は何があっても100%息子さんの味方です」という言葉に救われた記録。
不登校と子育て

教頭先生が迎えに来てくれた朝

二学期も続いた「学校に行きたくない息子」と「仕事に行かなきゃいけない母」の朝のバトル。家庭訪問から別室登校へ進み、教頭先生が迎えに来てくれる形で少しずつ学校に通えるようになった流れ。6年生での転勤と花束の場面、教育相談につないでもらった話まで。
パニック・メンタル

30代、育児中に戻ってきた不安(車に乗れなくなった日々)

育児と疲れの中で、不安が戻ってきた。今回は電車ではなく“大きい車”が怖い。母とのすれ違いと「自信がない」のしんどさの記録。
パニック・メンタル

思春期パニック症候群、三年間の仕事の話(逃げ場のある職場を探してた)

座り仕事は逃げ場が少ない。動ける仕事に救われた。事務、カラオケ、ガソスタ、花屋…「崩れにくい形」を探して働いた三年間の話。
不登校と子育て

市の教育相談に電話した日。「この人は信頼できる」と思えた

教頭先生の紹介で、市の教育相談に電話した日。過去に市の相談窓口で説教され、児童扶養手当の申請でもつらい思いをした私が、電話口の女性に「この人は信頼できる」と感じ、親身な言葉に救われた。状況説明から面会予約までの記録。
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