【第3話】どうやって電車に乗れるようになったのか、わからない話

パニック・メンタル

電車に乗れなかった時期があります。
一駅も無理でした。たった数分が耐えられない。

乗った瞬間にものすごい不安感が襲ってきて、居ても立ってもいられなくなる。
あれは本当に、説明しづらいし、分かってもらいにくい症状でした。

でも、ここから先が困るんです。

「どうやって乗れるようになったの?」と聞かれると、答えられません。
気づいたら、乗れていました。

段階があったのか、何かきっかけがあったのか。
思い出そうとしても、「これです」と言える出来事が出てこないのです。


乗れない期間は、2〜3年くらい

ただ、ひとつ思い当たることがあります。

乗れない頃から「乗れた」と思えた日まで、たぶん2〜3年かかったと思います。
それは、私がほとんど車だったからです。電車などに、その期間は乗りませんでした。

たぶん、当時の私は回復のために頑張っていたというより、ただ毎日を必死にやり過ごしていました。

…と言いつつ、正直に言うと、なにが必死って、「回復」よりも、1分でも長く彼氏と一緒に居たいという、「恋」の暴走でした😅
そりゃ、自律神経も乱れるわ…。

怖い日もある。大丈夫な日もある。
できることと、できないことが日によって違う。

その中で私は、生活も気持ちも、とにかく回していました。

電車は無理でも、車は運転できる。
理由は分からないけど、とにかくそれで生活を回していました。

思春期パニック症候群と診断されてからの三年ほど(軽快するまで)は、原チャリと車でした。仕事も原チャリか車で行っていました。


わかってもらえなかった社員旅行/わかってもらえたかもしれない日

その期間に、バイトをしていたお店の社員旅行がありました。
私は電車に乗れないので、断りました。

すると、店長の奥さんは「電車に乗れないから社員旅行に行かないなんて!」と、不機嫌になりました。電車に乗れない感覚がわからないのです。

奥さんの独身時代の仕事は保健師でした。
でも、電車に乗れない症状のことはわからないのです。

今思えば、これは「この時代にこの病気や症状が世間一般に認知されていない」裏付けのひとつだったと思います。
目に見えない不安は、説明しても伝わりにくい。

しかも本人の私でさえ、「なぜそうなるのか」が分からない。
だから余計に難しかったのだと思います。

一方で、「わかってもらえたかもしれない」と思えた出来事もありました。

私は彼氏と同棲をはじめました。彼氏は専門学校から社会人になりました。
私は市内の会社が内定していましたが、症状があるために辞退して、原チャリで行けるアルバイトへ行っていました。

その彼氏が、ある日仕事から帰宅したときにこう言いました。
「オレ、お前の言ってる電車に乗れない感じ、今日あった。気分が悪くなって。」

私は嬉しかったです。
そうでしょう!乗れないでしょう!と思いました(言いました)。

でも、次の日から彼氏はまた電車に乗って会社へ行けるのです。
それを見て私は、「ちゃうやん!」と思いました(笑)

…でも、それでもいいんです。
少しでも「電車で気分が悪くなる」ということが伝わった気がして、嬉しかった出来事でした。


乗れるようになってからも、たまに来る

今思うのは、私の場合、回復って「劇的に良くなる瞬間」があるというより、生活の中で少しずつ薄まっていって、ある日ふと「あれ?普通に乗ってるな」と気づくものなのかもしれません。

そしてもうひとつ思うのは、回復って、本人が一番よく分かっていないこともあるということです。
私の場合がまさにそうでした。

でも、だからこそ書いておきたいです。
「どうやって治したの?」が分からなくても、気づいたらケロっとなっていることはある。

原因も順番も説明できなくても、私の生活は前に進む日があった。
そして気づいたら、昔できなかったことが、できるようになっていることがある。

症状が軽快してからは、イギリス旅行へ二回行きました。
飛行機は大丈夫でした。ここも自分でも不思議です。

でも、イギリスの田舎へ観光へ行く際に電車に乗った時に、久しぶりに発作が起きました。

私は乗る前に、一緒に行った従妹に「電車に乗る自信がない」と伝えました。
でも従妹にはその感覚はわからず、イギリスの田舎では電車は日本のように正確に来ないし、本数も少ないから「がんばって乗ってほしい」と言われました。

私は不安を抱えながら乗りました。
そして、不安感は押し寄せました。

でも、そのとき持っていたミネラルウォーターを飲み、「大丈夫、大丈夫」と心の中で呟いていたら、わりと早く治まりました。

昔と同じように不安は来る。
でも、戻ってこれる感じがありました。


安心材料として

安心材料として書いておくと、私はその数年後にはひとりでアフリカへ行ったくらい回復しています。
今も電車やバスなど、公共交通機関を仕事で毎日使っています。

当時の私が聞いたら、たぶん信じなかったと思います。
でも本当です。

『わからない』ままでも、私には前に進む日がありました。

ここまでの流れは、前回の[第1話:電車に乗れない。一駅も!]と[第2話:風のあるほうへ。原チャリとバイクとローレル]に続いています。


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