※この記事は「私の場合」の記録です。
同じような時期の人の、心の中の“補助線”になればと思って書きます。
実際どうやって逃げ場を作っていたか(私の場合)
私の場合、究極の逃げ場は「断る」でした。
行けないときは、行かない。誘いを断る。最初からその場に行かない。
きれいごとに聞こえるかもしれませんが、あの頃の私は、それを“逃げ”ではなく、無理して倒れるより、断ってでも自分を守るほうが大事だと思っていたからです。
仕事も、逃げ場を作れる形を選んでいました
仕事も同じでした。
母とお店を営んでいた頃は、しんどくなったら一度お店を離れることができました。アルバイトの方もいたので、少し席を外せたのです。
その後、お店をやめて外で働くようになってからも、私は自分に合う働き方を選ぶようになりました。
単発の派遣や、倉庫系の仕事を選ぶことが多かったです。倉庫系の仕事は絶えず歩き回っています。じっとしていると緊張から症状が出やすかったので、身体が動ける仕事を選んでいました。
のちに介護職に就きますが、施設よりも訪問介護を選びました。
基本ひとりで動きますし、移動は自転車で風を感じられる。だいたい1件1時間で区切りがつくので、気持ちも切り替えやすい。
高齢者のお世話は、どこか空気がゆったりしていて、私には安心感がありました。生活介護なら掃除や洗濯、買い物などで身体を動かせるのも良かったです。
社員にならなかったのも、私なりの逃げ場でした。
「辞めにくい」「従わないといけない」みたいな、目に見えない拘束がしんどくなる気がしていました。
(他にも理由あり、別記事に書きます。一度社員になったことはあるんですが、パートに戻りました。)
仕事って、1日の大半を占めます。
だから私は、できるだけ自分が崩れにくい形を選んでいました。
あの頃の「逃げ場」の見取り図(私の場合)
- 究極:断る(行けない時は行かない)
- 仕事:崩れにくい形を選ぶ(動ける/区切りがある/ひとりで動ける など)
- 日常:整える行動を入れる(私は「歩く」が良かった)
「断ったこと」が、今でも心に残っている話
今も強く心に残っていることがあります。
高校時代の同級生が亡くなったと知らせがあり、お通夜に誘われました。でも、その頃は症状がある時期で、不安が強くて行けませんでした。断りました。
これは今でも、残念な気持ちと、申し訳なさが残っています。
当時の私には精一杯の選択だったけれど、心の中ではずっと引っかかっている。そういうこともあります。
日常で自分を整えるために、やっていたこと(私の場合)
そして、いざという時の逃げ場とは別に、日常で自分を整えるためにやっていたこともありました。
あと、歩くのが良かったです。
家の近所の公園まで、よく歩いていました。うちにはトイプードルもいたので、一緒に散歩することもありました。
ひとりでリズムよく歩くのも良いし、犬と一緒に、ほのぼのした気持ちで歩いたり、立ち止まったりするのも良かったです。
空、風、空気、花、木。そういうものを感じながら歩くと、気持ちが少し落ち着く実感がありました。
当時、セロトニンは気分や自律神経に関係がある、といった話を本や雑誌で見かけました。
朝日を浴びるとか、リズムよく歩くとか、よく噛むとか。私は「治るなら治りたい、せめてましになりたい」と本気で思って、できることを取り入れていました。歩くと気分が良くなって、心地いい疲労感がありました。


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