6年生になって、また学校に行けない日が増えました。
きっかけははっきりしていて、信頼していた教頭先生が転勤してしまったこと。それに加えて担任も変わって、息子の中のバランスがまた崩れたように見えました。
担任の先生は若くて体育会系で、冗談も面白いタイプでした。
でも叱るときは学校中に響く大声で怒鳴ったり、手をあげたりする先生で、息子は案の定その先生が苦手でした。
「面白い時もあるけど、コワイ」——その言葉が、息子の本音だったと思います。
別室登校の部屋で過ごした時間
それでも学校は、別室登校の場所を用意してくれていました。
私は仕事をパートに切り替えて、平日に休みをとり、学校に付き添って行きました。別室登校の部屋に入って、一緒に時間を過ごすこともありました。
その部屋には、絵を描く道具や将棋が置いてあって、自由に使ってよくて。
学習プリントをしたり、静かに過ごしたり、できる範囲で“学校にいる時間”を作っていました。
給食までいられる日は、クラスメイトが給食を持ってきてくれて、
「別室いいなあ!」と言われることもありました。
少しの時間だけ一緒に過ごせた日もあって、そういう一瞬が、親の私には妙に嬉しかったです。
トランポリンの部屋。遊びの力も試してくれた
しばらくして、学校からこんな話を聞きました。
「不登校や学校に馴染めない子どもたちがいるので、ある教室で一緒に過ごせるようにした」と。
毎日ではないけれど、週に1〜2回、その教室に行きました。
そこにはトランポリンや身体を動かせる遊具が置いてあって、息子はそこで遊ばせてもらえました。私も時々一緒に居させてもらいました。
この話は、ほかの子たちにとっては「ずるいー!」となりかねないから、こちらから言うことはありませんでした。
遊びの力で、溜まっていたエネルギーを発散できたら、いい方向(この場合の“いい方向”は、教室でみんなと授業を受ける)へ向くかもしれない。
たぶん、そういう試みだったと思います。
でも現実は、そう簡単にはいきませんでした。
事務員の先生が、息子を励ましてくれた
教頭先生がいなくなったあと、その代わりのように、学校の事務員の先生が息子に目をかけてくださいました。
会うたびに、
「お母さん、この子は大丈夫ですよ。慣れてないから、慣れたら大丈夫ですよ」
そう言ってくれて。
息子もだんだんその先生を信頼していきました。
別室登校からトランポリンの部屋へ行くときも、一緒に行ってくれていました。
別れもあるけど、出会いもあるんだなと思えて、私は嬉しかったです。
卒業式と、卒業旅行
話は前後するけれど、その事務員の先生は卒業式の日も息子に寄り添ってくれました。
卒業式当日、学校へは行けたのに、体育館には入れなかった息子。
小学生生活は、本当にたくさんの人に支えられていました。
付け加えるなら、卒業旅行は行きました。
これはやっぱり子どもだなぁと、心がほんわかしました。友達も受け入れて、一緒に楽しんでいたようです。
そのとき作った焼き物の器は宝物になりました。
卒業式の体育館は無理だったのに、卒業旅行は行けた。
あの教室という空間が苦手だったのかな。
今でも不思議です。
『教室だけが学校じゃなかった』 『学校の中に、いくつも居場所があった』 『いろんな大人に見てもらっていた』 『別れもあったけど、出会いもあった』 『支えられてた小学生時代』

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