私の気質と、息子の気質は違った

不登校と子育て

「学校って行かなくてもいい」と思えるタイプの私が、息子の不登校でいちばん苦しんだのは“別のところ”でした。
親子の気質の違いに戸惑った時期の話です。


私は、一般的なラインより外れているタイプ

わたしの思考は、一般的なラインより外れているタイプです。
例えば「学校行く/行かない」も、自分のことだったらそんなに気になりません。

若い頃から、自分で考えて決めて、親に反対されてもやり通すタイプでした。

両親に反対されても中型免許をとってバイクに乗ったり、
犬が飼いたいと思ったら、この子犬だと思えるまで探し、3年ローンを組んで家族にナイショで家に連れて帰ってきたり。

オフブロードウェイのミュージカルが日本公演して、それにハマって。
そのCDが欲しかったけど日本に売ってなくて、いとこと旅行したイギリスのレコード屋を何軒かまわって、下手な英語で店員さんに伝えて、買えた!とか。

アフリカへひとりで行ったり、
好きなミュージシャンの推し活をすごい頻度でしたり、その後、自分でライブを主催したり。

中学生の頃から黒人ハーフのこどもがほしいと夢見て、30歳で妊娠したり。

だから、不登校だって、もし「何かほかにやりたいことがある」とかなら、全く気にしない。
「さすがわたしのこども」と鼻を膨らませていたと思います。


教育の価値観も、ちょっと外れていた(シュタイナーと“山の学校”)

付け加えると、わたしの価値観として、教育のことでも「一般的なライン」から外れている部分がありました。

その頃、シュタイナー教育に興味を持ったことがあります。
当時の愛読雑誌に載っていて、
「からだ」「こころ」「あたま」のバランスの取れた発達を目指し、7年ごとの発達段階に合わせたカリキュラムで、芸術や体験活動を重視する。
そういう考え方に惹かれました。

芸術や体験学習って、めちゃくちゃ面白そう!と思いました。
でも、住んでいる地域にはありませんでした。
車で2時間くらいかかるところにあり、一度体験しに行ったんです。

とても良かった。
でも現実的に、毎日片道2時間車で通うのは難しい。
そこで断念しました。

その流れで、小学受験のことも考えました。
お受験塾など試してみて、うちの家とは何か違う…と感じたわたしは、今度は別の方向に惹かれました。

山の中にある、小学校・中学校・高校が一体になった私立の学校です。
教育理念として「自己決定」「個性」「体験の尊重」を掲げている学校でした。

わたしが子どもなら、絶対ここに入りたかった。
そう思える学校でした。

ログハウスでできた教室。
横の部屋では、玉葱の皮や草木染。
校庭では、手作りの遊具で、自然の中でイキイキと遊ぶ子どもたち。
先生のお話も魅力的でした。

印象に残っているのは、卒業生で宮大工になった子がいる、という話です。
学校で遊具を作ったりしている中で、そういう道に行った、と。
わたしはワクワクして聞いていました。

その日見学に来ていた教師志望の大学生は、わたしたちが山を車で登ってきたのに、「歩いて来ました」と言っていました。
そんな、豊かでみずみずしい、タフな人たちが集まる場所でした。

わたしは惹かれました。
息子もこんなところで過ごしたら、イキイキとタフな人間になれるんじゃないか、と思った。

でも、息子とわたしの性格は違います。

通学もできるけど、うちから車で2時間ほどかかります。
その学校に入れて、その地域で働いて、また家に2時間かけて帰ろうかな…という考えも浮かびました。

そこは寮もあって、平日は寮で寝泊まり、週末に迎えに行って自宅で過ごす、というスタイルもできます。
でもそれは嫌でした。
息子と毎週離れて暮らすのはさみしいし、幼い息子の成長をそばで見たい。

毎日2時間通うのも、やっぱり現実的ではない。
だから、親元で、地元の公立小中学校で、地元の友達ができるほうがいいかな、と考えを変えました。
それに落ち着きました。


整理の箱(この追加を反映すると、箇条書きはこう変えるのが自然)

  • 私は「行かなくてもいい」側の思考を持っていた
  • 教育観も“体験・芸術・自己決定”に惹かれるタイプだった(シュタイナー/山の学校)
  • でも現実(距離・暮らし・寮)が合わず、地元の公立を選んだ
  • その上で、息子は「行けなくて苦しい」側だった
  • 親子の気質の違いが、私をいちばん揺らした

でも、息子は違った。「行けなくて苦しんでいた」

でも、息子は学校へ行けなくて苦しんでいる。
わたしとは違う。
その違いに、わたしは苦しみました。

本当はわたしは「学校に行かなくても、色んな道があるじゃない」と考えるタイプでした。
でも、いざそれが、はじめての子育てで、自分の息子となると。
心配や不安が先に立って、ついつい社会の仕組みに合わせる方になっていたのです。

息子をとても愛しているのに、
社会の仕組みに馴染めない息子にイライラしてしまう自分自身が、すごく辛かった。


見た目の違いのこと(私が知っている範囲で)

付け加えるとして、息子は黒人ハーフですが、いじめられたことはなかったです。
生まれたときには「こんなにたくさんの人が赤ちゃんを見に来ているのははじめてです」と言ってもらえたくらい、近所の方にも可愛がってもらえましたし、友達もいるほうで、学校帰りには友達とよく遊んでいました。

ときに、褐色の肌色、くるくるとした巻き毛など、見た目の違いを言われることはあったようです。
本人は小学校5年生のころから気にしだしましたが、それまではそんなに気にしている様子もなく、いつも友達と一緒に遊んでいました。

(でも、わたしは四六時中一緒にいたわけではないので、友達同士でちょっとした外見の違いに対する言葉に傷ついたこともあったかもしれませんが)


「10歳の壁」に、ピタッとはまった気がした

なので、小学校の校長先生が言った「10歳に壁」、小学校5年生から自我がはじまる、にピタッとはまりました。

周囲から自分はどう見られているか?
という、自分自身の内部の視線を敏感に感じ取り、
言葉にできない不安があったのかなと思います。

『理想に出会ったワクワク』 『こんな場所で育ったら…という想像』 『でも生活と性格を考えた現実』 『選ばなかったけど、大事な風景』


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